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THINKSGIVING
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サンクスギビング
以前はいつも、自分には時間がないと思っていた。
後になって気づいたのだが、私には時間がなかったわけではなく、注意力が細切れになってしまっていたのだ。
自転車に乗り始めて初めて、私は再び充実した午後を取り戻すことができた。
以前は、時間を無駄に過ごすのが一番得意だった
しばらくの間、毎日時間が足りないと感じていた。
よく考えてみると、実は大したことはしていない気がする。スマホを手に取ると、あっという間に30分が過ぎてしまう。チャット画面を開いて、ついでにショート動画をクリックしてしまう。何か調べようとしても、別のコンテンツに気を取られてしまう。気がつくと、もう日が暮れていて、首は凝り、目は乾き、心には虚しさが残っている。
最も恐ろしいのは、私は確かにすべてを見てきたのに、何も残っていないということだ。
賑やかさは賑やかだし、情報は新しい。でも、頭の中はかき回されたようで、スクロールすればするほど混乱していく。数え切れないほどの週末の午後が、こうして散り散りになっていった。部屋に座り、体は動いていないのに、心はずっと画面に引きずり回されているのだ。
それからある日、私は突然、この状況に耐えられなくなった。
スマホをバッグにしまい、自転車を押して階段を下りた。行き先は決まっていない。ただ外へ出て、あの小さな画面から少しの間でも抜け出したいだけだった。


車輪がひと回りすると、世界が突然、完璧なものになった
運転を始めたばかりの頃は、ついスマホを触りたくなってしまう。
最初の赤信号で止まった時、無意識にメッセージが届いていないか確認しようとした。バッグの縁に手を伸ばしかけたが、そこで手を止めた。その瞬間、どこか違和感を覚えた。まるで、いつでも掴めるはずのものが突然なくなってしまったかのようだった。
しかし、いくつかの交差点を過ぎると、私は次第に落ち着いてきた。
道そのものが、私を受け止めてくれたからだ。
風が耳元を通り過ぎ、木々の影が断片的に地面に落ちている。車輪がアスファルトの上を転がり、かすかな摩擦音がする。道端の花屋の入り口には小さな植木鉢が並んでおり、店主が腰をかがめて水をやっている。一人の子供がスケートボードに乗って私の横を通り過ぎ、危うく転びそうになったが、自分で笑ってしまった。
どれも大したことではない。
しかし、それらは現実のものだ。
画面に一瞬だけ映る賑わいよりも、私の心に深く響く。
ふと気づいた。世界はずっと豊かだったのに、私が長い間、その姿をしっかりと眺めていなかっただけなのだと。


サイクリングは私に「没入感」を取り戻させてくれた
私は川沿いを長い間自転車で走った。
その日の午後は風も穏やかで、水面にきらめきが散らばっていた。道端では、ジョギングをする人、自転車を押して散歩する人、ベンチに座ってぼんやりしている人もいた。誰もがそれぞれのペースで過ごしていた。私もその一人だった。
自転車に乗ることに一つだけ素晴らしい点がある。それは、今この瞬間に意識を戻させられることだ。
ずっと下を向いていてはいけないし、ずっと気を散らしていてもいけない。前を見て、距離を測り、体の状態を感じ取らなければならない。脚に力を入れ、ハンドルを握り、呼吸はスピードに合わせて徐々に調整していく。走っているうちに、頭の中のごちゃごちゃした考えは自然と消えていく。
こんなに一つのことに集中したのは、久しぶりだ。
効率のためでも、任務を遂行するためでもない。
ただ道を見たり、木を見たり、風が水面をどのように波立たせるかを見たりするだけだ。
その没入感は格別に貴重だ。何度も中断されていた手が、ようやく一つのことを最初から最後までやり遂げられるような感覚だ。


スマホをやめたわけじゃない。主導権を取り戻したんだ
その日、サイクリングを終えて家に帰った時、私はすぐにスマホを開かなかった。
まず顔を洗い、着替えて、窓辺に座って水を飲んだ。しばらくしてから、ようやくゆっくりとニュースをチェックした。不思議なことに、私が1時間遅れてチェックしたからといって、ニュースの世界が崩壊したわけではなかった。多くのことは、それほど急を要するものでもなかったのだ。
その瞬間、私はふと心が軽くなった。
どうやら、私は常にオンラインでいる必要はないようだ。
画面が点灯するたびに、すぐに反応する必要はありません。
その後、私は意識的に「スマホなしのサイクリング」の時間を設けるようになった。必ずしも長くなくてもいい。30分でも構わない。外に出て、たとえ見慣れた道をひと回りしただけでも、頭がすっきりリセットされたような気分になるのだ。
ようやく、私は他人の意見に流される人間ではなくなった。少なくともその道のりにおいては、何を見るか、何を聞くか、何を考えるかを自分で決められるようになった。


ある一区間をしっかりと歩み抜くことは、人生をしっかりと生きるということでもある
今では、サイクリングがもたらしてくれるこの充実感を、ますます大切に思うようになった。
それによって、平凡な午後が必ずしも散り散りになる必要はないのだと気づかされた。そこには風があり、木々の影があり、タイヤが地面を転がる音があり、そしてゆっくりと意識が戻ってくる自分もいるのだ。
以前は、生活を良くするには大きな変化が必要だとばかり思っていた。でも今は、ほんの小さな変化で十分だと感じる。例えば、スマホをカバンにしまい、20分ほど自転車で出かけること。あるいは、午後の時間を無数の断片に切り刻まれるのをやめること。そして、目の前の道に再び意識を向けること。
これこそが、サイクリングが私にくれた贈り物だ。
それによって、私が特別に素晴らしい人間になったわけではない。
それはただ、しばらくの間、自分を取り戻させてくれただけだった。
そしてこの期間は、とても清々しく、完璧で、まるで本当の生活そのもののようだった。
スマホをいじっているうちに、あっという間に時間が過ぎてしまったと感じたことはありませんか?
もしスマホを見ずにサイクリングを楽しめる時間が与えられたら、どんな道を走ってみたいですか?
